戒めのようで、戒めでないもの
基本的に文章を書くのは好きなのに、blogを書いて上げるという行為に些か気後れさを感じています。
マイナスから入りましたが、今回のblogはひとつの話を受けて書こうと思い至ったblogです。
その話について、大きく触れるつもりはありませんし、読んで頂く内にきっと分かることかとは思いますが、その話を含め、私の別の推し事とも関連した話となっています。
きっと相変わらず、長く重たく、読みにくい文章になるかと思いますが、このページを開けて頂いたのもなにかの縁だと思って頂ければ、幸いです。
私の別の推し事には、「引退」と「移籍」がついて回ります。
移籍であれば、正直、遠いところに行ってもお金や自分の体力、時間に余裕があれば追うことは可能です。
日本国内に居てさえくれれば、行けないこともない。
ただし、「引退」となると話は別になります。
セカンドキャリアを見つけるのが難しい昨今、加えて特殊な仕事をしている彼らにとって、引退を選んだ後に、彼らに会うことは容易ではありません。
何処にいるのか、何をしているのか、下手すると生死すら知ることの出来ない世界。
上手く行けば人づてに、どこに居て何をしているのかは聞くことが出来ても、会って話をするなんてことはできません。
そしてそれは、きっと、芸能人にも同じことが言えます。
引退、という道を選んだ彼女や彼に、会うことは容易ではなく、今まで見てきたものを、もう簡単に見ることができなくなって。
引退という要因だけではなく、その他様々な理由によって、自分の好きなものを、自分の好きな彼等の姿を、見ることが叶わなくなってしまう。
一時期、あかにしくんがもう二度と見られなくなるのではと思った時期があります。
あの声を、あの姿を、あの才能を、もう二度と体感することができなくなるのではと、思ったことがあります。
あかにしくんは戻ってきました。
それがどれだけ、辛く、またこちら側が思う以上の問題や困難が待ち受けていたのか分かりません。
ただ、今、目の前でパフォーマンスをするあかにしくんの顔が輝いていること。
あかにしくんを取り囲む仲間や、環境が素晴らしいものであること。
あかにしくんが、これから先も歌いたいと思ってくれていること。
それは何にも変え難い希望だと思っています。
私がこのblogを書きたい、と思った理由は
「見たいものは見ておかないときっと後悔する」
という点に尽きます。
時間があるなら、
お金があるなら、
自分に余裕があるなら、
次でいいやなんて言わないで。
彼らは刹那の人間です。
もしかしたら次のタイミングには
彼はもうそこに居ないかもしれない。
当たり前が毎日あるなんて、
絶対にない。
世界は常に、誰かの感情を無視して
進んでいくもの。
始まりがあるなら、終わりがある。
生があるなら、死がある。
大好きな人が、大好きな場所で
笑っているなんて幸せなこと、
当たり前ではないんだと
思い知らされた2年間でした。
長くはなりましたが、
大事なものはちゃんと焼き付けて
生きていこうと思います。