勇敢なる海豹

そこに居続ける、あなたがいる限り、を。

離れたようで、近く、遠く

なんの濁りもない、透き通った目が好きです。

 

その目は、ただ真っ直ぐに前を、

自分のこれから先のやりたいことを

見つめて、見つけて。

 

 

軽やかに、それでいて軸の通ったダンスが好きです。

 

「間違っても堂々としてればバレない」と言う割に、負けず嫌いだからなのか、

間違えるのが好きじゃなくて、ダンスに常に真正面から向き合う姿。

 

 

どんな時も、聞いている人の心に沁みる、歌声が好きです。

 

曲調によって強くも優しくも儚くも変わる、

あの歌声は許されるのならいつまででも聞いていたい。

 

 

自分が進む道を、やりたいことを絶対諦めない姿勢が好きです。

 

やりたいと思ったことを、口に出して、いつの間にか形にしてしまう実行力と行動力。

 

 

 

 

なりたいと、こういう風に生きれたらと、

何度も思いました。

 

でもそれは、口に出して簡単に願えるような事ではなくて。

 

 

人が出来ないからこそ、

時には矢面に立たされ批判され、非難され、

それでも絶対に自分の信念を曲げずに

自分を信じて歩くこと。

 

 

一般人が知りえないような

努力もいろんな思いも経験してなお、

「ずっと歌を歌っていたい」と言ってくれたあの瞬間は、今も覚えています。

 

 

そんな大事な、と言われるのかもしれません。

 

 

 

でも、本当に一時期、歌を歌うことを

辞めてしまうのではと勝手な心配をした時がありました。

 

 

こちらの勝手な心配です。

それが本当になりうるかどうかなんて、

本人にしか分からないのに

日々流れるニュースに右往左往して。

 

 

だからあの時、

本人の口からそう聞いた時に

「まだこの歌声を聞いていられる」という夢が、叶ったと思いました。

 

 

 

 

 

ここ最近は、

自分の勝手な事情であかにしくんから

少し遠ざかっていた感じもあります。

 

 

コンサートのチケットも取れない状況に、

沢山の人があかにしくんの世界観を、歌を、

聞きたいと思ってくれたのだとも思いましたが

やはり少し寂しい気持ちも拭えずにいた事は確かです。

 

 

それでもやっぱり、

たまたま再生した曲の中で

あかにしくんの声に触れる度に

私はまたこの人の声を聞きたいと思いました。

 

 

あの世界を、この目に焼き付けたいと思いました。

 

 

35歳のお誕生日おめでとうございます。

 

 

あかにしくんの誕生日が来る度に、

夏がもうそこまで近付いているなと思います。

 

 

あかにしくんの好きな季節が、

沢山の色で溢れるといいなと願いながら

1年ぶりのブログを閉じようと思います。

 

 

来年も、またその次の年も

あかにしくんの誕生日をお祝いできますように。

 

 

 

またね、またすぐね。

 

 

戒めのようで、戒めでないもの

基本的に文章を書くのは好きなのに、blogを書いて上げるという行為に些か気後れさを感じています。

 

マイナスから入りましたが、今回のblogはひとつの話を受けて書こうと思い至ったblogです。

 

その話について、大きく触れるつもりはありませんし、読んで頂く内にきっと分かることかとは思いますが、その話を含め、私の別の推し事とも関連した話となっています。

 

きっと相変わらず、長く重たく、読みにくい文章になるかと思いますが、このページを開けて頂いたのもなにかの縁だと思って頂ければ、幸いです。

 

 

 

 

 

私の別の推し事には、「引退」と「移籍」がついて回ります。

 

移籍であれば、正直、遠いところに行ってもお金や自分の体力、時間に余裕があれば追うことは可能です。

 

日本国内に居てさえくれれば、行けないこともない。

 

 

 

ただし、「引退」となると話は別になります。

 

 

 

セカンドキャリアを見つけるのが難しい昨今、加えて特殊な仕事をしている彼らにとって、引退を選んだ後に、彼らに会うことは容易ではありません。

 

 

何処にいるのか、何をしているのか、下手すると生死すら知ることの出来ない世界。

 

 

上手く行けば人づてに、どこに居て何をしているのかは聞くことが出来ても、会って話をするなんてことはできません。

 

 

 

そしてそれは、きっと、芸能人にも同じことが言えます。

 

 

 

引退、という道を選んだ彼女や彼に、会うことは容易ではなく、今まで見てきたものを、もう簡単に見ることができなくなって。

 

 

引退という要因だけではなく、その他様々な理由によって、自分の好きなものを、自分の好きな彼等の姿を、見ることが叶わなくなってしまう。

 

 

一時期、あかにしくんがもう二度と見られなくなるのではと思った時期があります。

 

 

あの声を、あの姿を、あの才能を、もう二度と体感することができなくなるのではと、思ったことがあります。

 

 

あかにしくんは戻ってきました。

 

 

それがどれだけ、辛く、またこちら側が思う以上の問題や困難が待ち受けていたのか分かりません。

 

 

ただ、今、目の前でパフォーマンスをするあかにしくんの顔が輝いていること。

 

 

あかにしくんを取り囲む仲間や、環境が素晴らしいものであること。

 

 

あかにしくんが、これから先も歌いたいと思ってくれていること。

 

 

それは何にも変え難い希望だと思っています。

 

 

 

私がこのblogを書きたい、と思った理由は

「見たいものは見ておかないときっと後悔する」

という点に尽きます。

 

 

時間があるなら、

お金があるなら、

自分に余裕があるなら、

次でいいやなんて言わないで。

 

 

彼らは刹那の人間です。

 

 

もしかしたら次のタイミングには

彼はもうそこに居ないかもしれない。

 

当たり前が毎日あるなんて、

絶対にない。

 

世界は常に、誰かの感情を無視して

進んでいくもの。

 

始まりがあるなら、終わりがある。

 

生があるなら、死がある。

 

大好きな人が、大好きな場所で

笑っているなんて幸せなこと、

当たり前ではないんだと

思い知らされた2年間でした。

 

 

長くはなりましたが、

大事なものはちゃんと焼き付けて

生きていこうと思います。

 

 

少し遅れた「おめでとう」

 

7月4日

 

この日が来る度に、

「ああ夏がそこまで来たんだな」と

そんな気持ちになります

 

 

気付けば、

10代の頃から応援していた彼が

34歳になりました

 

 

ここまでの道のり、

色んなことがあったと思います

 

 

決して平坦ではなかったと思います

 

 

それでも、こうして毎年

変わらずに誕生日をお祝いできること

毎年、必ずファンの前に姿を見せてくれること

毎年、必ずパワーアップした姿を魅せてくれること

 

 

一時期はそれすら見られなくなるのではと

不安になったこともありました

 

 

それが、決して当たり前のことではないと

思い知らされた時期もありました

 

 

アーティストやアイドルには

寿命があります

それは必ずではないけれども

誰かが決めた寿命や

自分で決める寿命が

常に活動の裏側に見え隠れしています

 

 

だからこそ、アイドルやアーティストは

儚くて美しいものなのだと思います

 

 

あかにしくんが

歌うことを辞めてしまうのではと

思ったことがあります

 

 

それは何が要因か、

あかにしくんしか知り得ないことですし、

ただのファンの杞憂と言われれば

そうだったのかもしれないですが

 

 

歌を歌うことが楽しくなさそうな

あかにしくんがいたのは

確かだったと思っています

 

 

それから色んなことがありました

色んなことを勝手に妄想しては

勝手に悲しみました

 

 

 

それでもやっぱり

赤西仁

赤西仁でしか

なかったです

 

 

 

歌うことを

踊ることを

音を楽しむことを

やめないでくれてありがとう

 

 

今年も勝手に

あかにしくんの誕生日を

お祝いできることが幸せです

 

 

仲間に囲まれて

家族に囲まれて

幸せな1日になりますように

 

 

あなたが進む道の後を

ずっとついて行く心構えです。

 

 

" 回り道した分だけ拾うものが多い "

 

 

あかにしくんは

不器用で

でも人の心の動きに敏感で

割とものすごく気にしぃで

本当は誰より傷つきやすくて

 

 

こんなことを書くと、

オタクは重いと言われがちですが

オタクというよりかは

母のような目線で見ているのかもしれません。

 

 

34歳のお誕生日おめでとうございます。

 

 

たくさんの幸せと笑顔に

溢れる1日になりますように。

目映い世界

『 幸福 』がどんな色をしているかを、

見た気がしました。

 

『 才能 』の呼吸音を聞いた気がしました。

 

『 世界 』が、煌めいていく瞬間を観ました。

 

 

赤西仁、という人間の世界の見え方に憧れて、

この人のようになれたら…と

思ったことは度々あります。

 

 でもその度に、

きっとその裏で私たちには見えない部分で

華やかな世界に闇があるように

きっと、血の滲むような努力や

辛いこともたくさんあるのだろうなと思います。

 

影があるからこそ、光が輝く。

 

ただ、あかにしくんの凄いところは

そんなことをおくびにも出さないところ。

 

冗談めかして言うことはあっても、

絶対にその本質を見せないところ。

 

 

 

相変わらず自分に自信がないのか、

ギターを弾く時に緊張するところも

有名なギタリストさんが来る日に限って

緊張のあまりべろべろに酔っ払ってるところも

あかにしくんらしいなあと思いました。

 

 

 

ステージから少し離れたところから見る、

あかにしじんという人間の存在感。

 

どんなに強く、明るいライトにも負けず、

どんなに響く楽器の音にも負けず、

赤西仁という人間の色と音が

ステージ上で煌めいていました。

 

それを見つめるファンの、

優しい笑顔や楽しそうな表情は

本当に綺麗でした。

 

 

誰もが幸せを感じていました。

 

 

赤西仁という人間が創り出す、

光と音の世界に入り込んで溺れる世界は

どんな言葉でも表現できないほどの

幸福感だと、思いました。

 

 

あの世界に溺れて、

あの世界に恋い焦がれて、

あの世界に嵌る。

 

 

そんな幸せなことはないなと、

改めて思う数時間だったと思います。

 

あかにしくんの手で生み出される、

あかにしくんの声が歌い上げる楽曲は

そのどれもが表情を持っていて。

 

どの曲も、一音すら聴き逃したくなくて

どの曲も、見逃したくなくて。

 

心臓に響く、あの音に

どれだけ心が踊ったか。

 

 

また、夏に、あかにしくんの音が

聞けると思うとワクワクします。

 

 

赤西仁は、天才だと思います。

 

一般人の私が綴る、

拙い言葉ではとても伝えられないほどに

光と音の真ん中に立つべきはずの

人間だと思います。

 

歌を歌うことを、

音を楽しむことを、

やめないでくれてありがとう。

 

あの才能に触れると、

あの世界を目にすると、

カメラを構えたくなるのは

何故なのでしょうか。

 

 

推しをスタバで働かせたい話

こんな朝も早い時間から、

このブログを書くに至ったのは

こんな素敵な質問を頂いたからです。

 

 

https://marshmallow-qa.com/messages/63ebbdc8-59e5-4041-a3cc-f143bb4640c5?utm_medium=twitter&utm_source=answer

 

 

割と、赤西くんって

私が着てほしいと思う服を好んで

着たりしているので改めて着てほしい服、

しかも至高であるVネック(ここ重要)の

白ティー以外...。

 

 

考えて、朝のマックで閃きました。

 

 

スタバの黒シャツ×緑エプロン似合うんじゃね...?!

 

 

タリーズとも迷ったんですけど、

(タリーズは黒シャツ×黒エプロン)

赤西くんはスタバの印象が強いのでこちらに。

 

 

 

黒シャツを肘辺りまでまくって、

(・゚ρ゚)いらっしゃいませ〜

って、赤西くんのいるスタバに行きたい。

 

通いつめて顔見知りになって

(・゚ρ゚)きょーはおれのおすすめね

って言ってどんなに寒くてもベンティくらいのアイスコーヒー出されても死ぬ気で飲む。

 

 

たまにオーダーミスったり、

飲み物こぼしたりして

(・゚д゚`)やべっ

ってなってても、何時間でも待ってる。

というか、赤西くん観察してる(恐怖)

 

 

(・゚∀゚)あ!ちょい待ってね!

 

って言って、カップにΦ(・゚∀゚o)カキカキ してくれたメッセージがちょっと解読不能でも

全然怒んない。むしろ書いてくれたらそのカップ後生大事に持ってく(恐怖)(2回目)

(多分大体thank you!!って書いてる。あともうちょっと時間あると不思議なキャラクターとか、ニコちゃんマーク書いてくれそう)

 

 

あと赤西くんがスタバのバイトに申し込んだ理由、

(・゚ρ゚)むこーでよくつかってたから

とかだと思うんだけど、頼むものアイスコーヒーくらいだからメニュー1から覚えないといけないと思う。

 

 

(・゚ρ゚)まっちゃくりーむふらぱ、

(・゚ρ゚)...まっちゃくりーむふらぷち、

(・゚н゚)...まっちゃのやつおまたせしました

 

 

甘いの頼んでたら

(・゚н゚)....ふとるよ?

って言って欲しい。速攻でやめる。

 

 

 

でもそんな赤西くん、

海外からのお客様はスマートに対応してくれるし、高いところのもの取ってくれるし、

たまにカードのチャージ方法分かんなかったり、その時の気分でホイップクリームの量に異常に差があったり、(・゚н゚)きょーはうまくできない ってホイップクリーム乗せるの、同期のなかまるくんに勝手にバトンタッチしてたり、豆乳で作ってるお客様からカード受け取るの忘れたりしそうだけど、人気の店員さんです。

 

 

ちなみに、同期のなかまるくんは

飲み物を作ってる手つきが綺麗すぎるって有名だし、オススメのカスタマイズとか教えてくれる。説明してる途中に横から(・゚ρ゚)アイスコーヒーでよくね?って言われてもめげない。

あかにしくんから(・゚н゚)ん ってホイップクリームの機械持たされまくってるけど、諦めない。

なんだかんだ休憩中に2人で飲み物飲みながら喋る時間がすき。

 

(・゚н゚)またそんなあまいもののんで

 

 

 

朝から脳みそフル回転して楽しかったです。

ご質問ありがとうございました(・゚∀゚*)

 

 

**

 

1人の天才を見た。

3/21 森のホール21@松戸で行われた

「JIN AKANISHI LIVE TOUR 2018 〜Blessèd〜」

に行ってきました。

 

MC中でも赤西くんが幾度となく、

『年度末にコンサートするなって怒られた』

と言っていた様に、例に漏れずこの時期は忙しい私の最初で最後のBlessèdでした。

 

今回は別の推し事もあって、今まで以上にレポとかも追えてなくて。

 

ただ、赤西くんが物凄いMC頑張ってるとか、MCで物凄い公演時間が伸びたというのは風の噂で聞いていたので、パフォーマンスも勿論MCも楽しみにしていたんですが。

 

 

 

毎回、公演が終わる度に、

自分の中の語彙力や感情が赤西くんの作り出すステージの前に、赤西くんの色に塗り潰されて行く心地よさを実感します。

 

ステージ上を縦横無尽に駆け抜けていく照明。モニター。ステージ上には最早それしかないのに。それでも、あのステージは眩いばかりの煌めきを放っていて。

 

飾り立てる必要はどこにもなくて、豪奢な衣装も別に必要なくて。

 

ただ、溢れんばかりの才能を湛えた1人の天才と、それを支える最高の仲間がいるだけで、ステージがあんなにも輝くのだと。

 

それは、物理的な輝きではなくて、言葉にはできないけれど、溢れ立つオーラとか、目には見えないけれども確かにそこに存在していて。

 

 

今までにも何度も、他のアーティストやジャニーズのコンサートにお邪魔させて頂いたこともあります。数え切れないほどの照明を観てきたと思っています。

 

それでも、赤西くんがあの場に作り出す光は、生きているのではと思わせるほどに強くて。眩しいだけじゃなくて、赤西くんの才能を更に引き出すための大きな役割を担っていて。

 

 

 

楽しみにしていたMCは、思っていた以上に面白く、またマネージャーであるジョシュくんの面白さが存分に引き出されていました。

 

『ジョシュってさあ...ママみたいだよね』

 

赤西くんの周りにいる人って、多分必然的にそうならざるを得ないんだと思うよ赤西くん...。

車忘れたり、リュック忘れたり、リュック閉めずに歩いてたり、福岡を海外と思ってる人を放っておくのは無理だよ赤西くん...。

 

相変わらず、人との距離感や付き合い方が上手くて絶対に人を不快にさせないラインを意識せずに見極めていて。

 

それは、偏に、赤西くんにも踏み込まれたくないボーダーがあって、それを決して他人にもしないようにとしているからなのか。

 

『お前って、ちょっと歳上だか歳下だか分かんないけど...』

 

『お父さん、友達みたいに話しかけてきてますが...はじめましてー』

 

気遣いの塊みたいな人なんだろうね。

人に嫌われるの平気って言いながら、赤西くんって人の顔色や目線をよく見てると思います。

 

 

 

赤西くんが、ピンスポに照らされた際にふと見上げる横顔のラインに、息を呑むしかありませんでした。

 

あの人を作る全てが、刹那で、切なげで、でもそれでいて力強くて...

 

影すらも美しくて、伏せた目の睫毛の影すらも艶やかに人の心を震わせて...

 

 

赤西仁は天才です。

才能の塊です。

そして、刹那に、一瞬一瞬を彩る強さを持っていて。

 

 

どんなに恋い焦がれても手に入らない、

あの才能は持って生まれたものでしかない。

 

見えている世界が違う、

考えている世界が遥か遠くて、

それでいてボーダーレスで、ただ広くて。

 

責任を取るツアーも、

行きたくなってしまいました。

 

赤西くんの才能に

塗り潰された思考を元に

また今日も1日をはじめます。

 

太陽が出てきましたね。

 

 

**

 

 

 

昨日から決壊したままの心の小箱が直りません

 

昨日から亀梨さんの単独コンサートが始まりましたね。亀梨さんらしく、色んなものをぎゅっと詰め込んで、「アイドルの亀梨和也」を存分に堪能させてくれるコンサート。

 

亀梨さんって割と、ファンの声を知ってる、というか、分かってる節があると思う。分かってて「あえて」そうではない方向へ持って行ってることが多々あるなと思います。

 

今回のセットリストとか見ると、特にそんな感じがします。分かってる、分かっててそうじゃない俺も見て欲しい、っていうような。

 

長年の俺のファンなら分かってるでしょ、ストレートなアイドルじゃないって、みたいな。

 

 

 

そんな中で、このツイートが意外にも拡散されていておっ、なんて思っております。

 

 

 

 

それからKAT-TUNの昔の映像やらなんやら見返してたら、こう、あっという間に心の小箱に収めてた思い出が収まり切らず、昨日からTLを荒らし続けております(申し訳ないです)

 

 

 

 

KAT-TUNって、本当に良くも悪くも目立つグループだと思います。

 

メンバーの脱退で、タイミングが重なってコメントを求められることも多かったりしたなあ、なんて。

 

その中で、色んな話が独り歩きしたりして、でもそれが嘘か真実かなんて判断はこちらにはできなくて。

 

メディアも書くだけ書いて、本人達には真相を追求したりはしなくて。ただ話に勝手に尾ひれも背びれもついて歩き回って。

 

結構そんな情報に踊らされてることも正直あったなあと思います。裏の世界は見えないところだしね?

 

 

 

でもある時ふと、KAT-TUNって定期的に昔のKAT-TUNに触れるときがあるよなあって思いました。

 

 

いつぞやのコンサートのロゴだったりね?歴代のコンサートのロゴ全部載せてくれてたり。

 

 

無かったことにされるのが1番辛いことだと思う。

 

 

あると分かってるのに、無いものとして扱われるのってかなり堪えるものがある。

 

 

けど、なんかそういうのに触れていたら、KAT-TUNにとっても昔の自分たちって大好きで大切な場所だったんだなあって思ったんです。

 

 

あの、充電前に出したベストアルバムにもきちんと昔の曲が入ってたり、以前からのファンも楽しめるようなセットリストだったり、最後の挨拶できちんとメンバー全員の名前を挙げてくれたり...。

 

 

KAT-TUNが昔のKAT-TUNを否定しないでいてくれて、そのままでいいよ、って言ってくれてる姿になんだかKAT-TUNもこっちと同じ気持ちなんじゃないかなあなんて思ったりもしました。

 

 

今のKAT-TUNは、昔のKAT-TUNがなきゃなかったわけで。6人でデビューしたことはまぎれもない事実で。踏み出した1歩はみんなおんなじで。

 

 

「俺たちの友情は卒業なし、永遠だからね」

 

「このメンバーだとくだんないことでも本気で笑える。理由はないけどなんか笑っちゃう」

 

「6人は友達じゃない。むしろそれ以上だよ」

 

「俺にとってのKAT-TUNは空気とか結婚20年目の奥さんみたいな感じ。存在して当たり前だから改めて感謝することもないんだけど、なきゃ生きてけない」

 

「みんなさりげない優しさがあったり周りに気遣いができたり、案外いい奴なんですよKAT-TUNって」

 

「俺にとってKAT-TUN、メンバーって自分の身内っていうか自分の一部みたいな感覚なんだよ」

 

 

最初は嫌いから始まって、でも結局バカやってるこいつらといれるのが楽しい。

それを見てる瞬間が楽しかったなあって思い出しました。

 

 

 

 

叶うといいな、と思います。

 

 

 

 

***